昨日は、一日かけて、引越し先の候補を見て回りました。
こうやって、新生活を想像するのは楽しいのですが、
実際に引越しするとなると、荷物の整理や移動が大変なので、
慎重に進めています。
詳しくは、「訪問日記~引越し準備の編集長その2」をお楽しみに!
さて、「芸大生こそ(それを目指す人も)読書をしよう!」を合言葉にお送りしています、京都造形芸術大学ブログのレコメンデーション。
最近、受験生の入試に対する捉え方や、学生の様々な取組に対する捉え方が、
どうも、表面的で薄っぺらい感じがすると危惧しています。
とにかく、その場その場で、具体的な方法を教えてほしい!
ということが多いような気がします。
場合によっては、それでも問題ありません。
でもね、大抵の場合は、多くの物事の中には、「共通する部分」が多いのです。
その場その場の表面的な対応では、その一点についてはすぐに問題の解決が出来て安心するかもしれません。
しかし、それと似た問題が起こったときは、全く対処できなくなるわけです。
例えば、入試の場面では、
「どうやって書けば合格できるか、その書き方を教えてください」という質問があります。
そして、先生は、モノを描く上で本質的なアドバイス(根っこの部分)から話を始めるのですが・・・・・・
そんな、これからいろいろな場面に活かせるアドバイスは、全く聞いていなかったりします。
逆に、「この部分は、何Bの鉛筆を使って、鉛筆をこうやって・・・・・・」と具体的な話を始めた途端、
急にメモを取り始めたりするケースも。
テクニックって、すぐに真似が出来て、力がついたような気になるから怖いんですよね。
だから、「本質的な部分」を論じられても、そこはすぐには目に見えて力がつかないから、あまり重視しない。
そう!それが、表面的で薄っぺらくなるのです。
一つのアドバイスを、その一点にだけ活かす人と、それ以外に共通するものにも活かせる人。
どちらが、力がつくかわかりますよね?
他にも、就職活動の場面では、
「どんな風にエントリーシートを書けば選考を通過できるか書き方を教えてください」
と来たりする。
そして、アドバイスの表面的な部分だけを必死にメモした結果、
一つの大学から応募した学生は、みんな同じようなことを同じ書式で書いたり・・・・・・
なぜ、こういうことになるのかな?とずっと考えていたのですが、
それは、「本質をつかむ」ことが出来ていないからだと思います。
本質の部分をつかむためには、見方や考え方を変えないといけません。
その部分は、テクニックではないので、簡単に出来ることではないのでやっかいです。
と思っていたら、書店で見つけたのが、今日のオススメ本。
この本では、エネルギー、少子化、水問題、農業・漁業・林業という、私たちがよく見聞きする問題を、違う視点から捉えています。
「違う」というと語弊があるか。
「この問題は、こういうことだから、こうやって解決すべきです」みたいな、表面的な議論をするのではなく、あえて、その問題を捉える視点に意識を置いています。
本書の中では、その捉え方を、
欧米的な物質(マテリアル)から捉えるのではなく、
五感を使って「モノという現実」から日本について語られています。
そして、きっと一番言いたいことは、
答えを求めずに、「ものの見方」を求めよ(p236)
ということ。
「ある見方を意識的に獲得しないとだめ。」
「そこまで訓練しないと、ものを見るという芽は出てこない。」
と言うように、タイトルの通り、「本質を見抜く力」をつけるために必要なことを、「意識しないと見えないものを見せたいという情動。」からまとめられています。
ただ、これも、「『本質を見抜く力』をつけるためのノウハウ本」だと思ったら残念な結果に・・・・・・
「本質を見抜く力」がないと、この本の「本質」には気づけないかもしれません。
と、こうやって新書は、比較的安価で、そのテーマについての全体像を掴むには良いと思うので、薦めるのですが、新書と聞いただけで、
「なんだか、意見を押し付けられている気がするので読みたくない」と思う学生もいます。
でも、判断するためには、様々な情報がないと判断できないでしょ?
こういう意見もあれば、それとは違うこんな意見もある。
それらを情報収集して、自分がどう判断するかを編集して形にすれば良いと思うのです。
その情報収集を怠っておいて、「意見を押し付けられている」と言っていると、
逆に特定の情報(信憑性がなくても)を信じて行動することになるかもよ・・・・・・
投稿者:入学広報課 吉田