編集長です。
今日は、長くなります。
そして、説教くさくなります。
読む人は、それを覚悟して読んでください。
(ただ、多くの合格者の子は、本当に高い意識でがんばっているので、そのみんなのことは編集長はうれしく思いながら、微笑んでいるので)
12月5日の記事で、厳しく書いたので、
(でも、編集長は「厳しい」のではなくて、受験生想いだからこその「愛情」なのにな……)、
恐怖に慄いたAO合格者のみんなから、メールや電話がたくさんあります。
何を書いたかというと、
>コミュニケーション入学に合格して、入学前学習プログラムに取り組んでいるみんな!
>「開講式」であれだけ言ったのに、課題をいい加減にやる子が多すぎるぞ!
>もちろん、ほとんどの子は、一生懸命取り組んでいる。
>でも、残念ながら、「本当に残念な」子が多いのも事実。
>締め切りを守らない、出してこない、やってないことの言い訳を必死に考える。
>その心構えで今からいたら、大学に入ったらちゃんとやる、社会に出たら頑張る、なんて絶対にありえないよ。
って、書いたのね。
(その後で、もうちょっと厳しいことも書いているんだけど。)
こうやって書くから、編集長が、「説教臭い40過ぎのおっさん」と思われる理由なのです。
(本当は、「初夏の高原に吹く薫風のように爽やかでありながら、アルプスの雪解けとともに咲く一輪の花のような可憐さを持ち合わせた、ステキなお兄さん」なのにね)
ここで、すごく大切なことを言います。
これから述べることは、「主観的」に考えるのではなく、
「全ての状況を整理して、客観的に、多角的に考えて」ください。
わかりやすく言うと、
自分がどう思うか、どう感じるか、自分の置かれている状況がどうかだけで判断するのではなく、
全ての情報を整理して考えてください。
というのも、世の中で、議論がこんなにもかみ合わないことが多いのは、
互いに「主観だけ」で議論するからです。
そして、大抵の場合、そういうときは、「状況の整理」が誰もできていない。
だから、今日は、AO入試(本学で言う、夏期コミュニケーション入学、秋期コミュニケーション入学)の入学前学習プログラムは、果たして厳しい課題なのか?について、「状況を整理」します。
きっと、受験生のみんなが、ほとんど知らないこと(そして、実は高校の先生も結構知らないこと)まで、あえて状況を整理するために伝えます。
まず、AO入試について。
アドミッション・オフィス入試を略して、AO入試と言います。
このAO入試には、様々な批判があるのも事実。
その批判は、後で整理をするとして。
コミュニケーション入学では、希望コースの授業を2日間受けてもらい、上記に書いた内容を評価しているわけです。
さてさて、では、AO入試のメリットとデメリットで言われることを、本学の「コミュニケーション入学」を例に整理。
■メリット
1.学力検査に過度に重点を置いた選抜基準ではなく、入学志願者の能力、適性、意欲、関心等を多面的、総合的に評価できること(受験生から言えば、一つの基準ではなく多面的に評価してもらえること。)
→これは、文部科学省のAO入試のところに同じように記載されています。
2.各コースの教員、施設、考え方を実際に知ることにより、自分の進路が間違っていないかどうかを自分で確認することができる(入学後のミスマッチを防ぐ)。
3.エントリー時は、専願(受かったら、必ずそこに入学することを確約する)のではなく、「出願可」の結果を受け取った後に、専願で出願するか、出願しないかを自分で決定することができる。
(つまり、迷っていても、実際にチャレンジして結果を見てから考えることができる)
4.もし、不合格でも、早期に実施しているので、その後の入試への対応が十分可能。
■デメリット
1.早期に合格が決まるので、入学までのモチベーションの低下を招きやすい(と言われる)。
2.モチベーションが低下し、その後の学習の質も低下するので、実力不足のまま入学を迎える(と言われる)。
わざと、「と言われる」とするぐらい、そのデメリット、問題についてどこに行っても言われます。
だから、京都造形芸術大学では、コミュニケーション入学(AO入試)を始めたときから、入学前学習プログラムを課しているのです。
それは、上記デメリットの「問題を解決するため」です。
そもそも、なぜ課題を出すの?と思う気持ちもわからないでもないんだけど。
それも、上に書いたことだけが理由じゃないのです。
例えば、「大学入学者選抜実施要項」という文部科学省から大学に出されている通知には、
AO入試の合格者に対しての条項で、
「入学手続きをとった者に対しては、これらの者の出身学校と協力しつつ、入学までに取り組むべき課題を課すなど、入学後の学習のための準備をあらかじめ用意しておくことが望ましい」
とあるわけです。
他にもね、上記のデメリットも、
課題を出されなくても、合格者のみんなが、ちゃんと力をつけるために努力を続ければ、課題を出す必要なんてないわけです。
でもね、残念ながら実情は、それを期待できる現状にはないというのはデータを見ても明らか。
「全国の大学生の75%が、一から十まで全部教えてほしいと思っている時代」なのです。
つまり、「何をどんな風にやる」という「課題」を出されなければ、「やらない」子がほとんどなのです、悲しいけど。
その問題が目の前にあるにもかかわらず、
「生徒や学生の自主性に任せるべき」
なんてのは、問題解決ではなく、責任の放棄だと思うのです。
そのツケを払わされるのは、少し後の世代というのは、どの問題でも同じ。
時代が変われば意見(価値観・基準)が変わる、というのは本当で、
AO入試導入当初から、現在にかけては、
「早期に合格が決まるので、入学までのモチベーションの低下を招きやすい」
「モチベーションが低下し、その後の学習の質も低下するので、実力不足のまま入学を迎える」
って言われていたのに、
今は、
「課題が多すぎて、生徒が困惑している。課題を出すのはいかがなものか?」
と言われたりします。
同じ事柄を、全く別の方向から見ているのがわかりますか?
京都造形芸術大学では、導入当初から、「何も変わっていない」のにです。
でも、言われる意見が全く違っているということ。
何が変わったか?
そう、「基準が下がった」のです。
だからといって、ここで信念を曲げるわけにはいかないので。
それに、編集長は、出している課題がそんなに厳しいとは思わないのです。
例えば、これが、
今日言って、来週出しなさいという課題なら、
他の予定もあるだろうし、一気に課題がやってくるので、大変だと思う。
でもね、これらの課題は、2ヶ月以上前から出されているわけです。
期末テストの勉強を2ヶ月やっていますか?
普通は、「じゃぁ、この2ヶ月全く時間がなかったんだ?」って聞かれるはず。
夏休みの宿題を、全くやらずにいて、
夏休み最終日に、あまりの量に絶句して泣き出す小学生。
そんなとき、「なぜ、毎日少しずつやらなかったの?時間はあったでしょ!」って普通は怒られるよね。
それと同じレベルです。
もちろん、みんなが、高校での勉強や期末テストや、学校行事で一生懸命がんばっていることは知っています。
それを、全く無視して、言いたいことを言っているわけではありません。
(合格した子に、高校行事の担当が来るのも知っています)
でもね、ここで言いたいのは、上に書いたように、
「状況を客観的に整理」しようということ。
みんなの周りには、
年明けの大学入試センター試験を受験する友達や、
国公立大学の入試や、私立大学の一般入試を受ける友達がいるよね。
さて、その子たちは、みんなと何が違いますか?
「高校の勉強があるので、受験勉強ができません」
「高校の行事があるので、センター試験の勉強ができません」
「期末テストの勉強が大変で、受験勉強ができません」
って泣き言を言うかな?
もちろん、言う子もいるかもしれないけど、それは自己責任だよね。
「そっかぁ、そりゃ大変だねぇ。」なんて、誰も同情してくれないはず。
その事実を、冷静に受け止めてほしいのです。
自分の主観でどう思うか、どう感じるかではなく。
だから、「課題の量が多いか、少ないか」を論点にするのではなく、
客観的にそのほか周辺の情報も整理して、考えるべきです。
だから、「気がついてほしい」と思うのです。
そして、「反省して、意識を改善して、行動に移してほしい」と思うのです。
気づきもせず、反省もせず、意識も改善しない人が、大学に入って行動が変わるなんてありえないから。
一度下げた基準は、そう簡単には上げることはできません。
すると、すぐに「わぁ、こんなの無理。大変」という思考になります。
例えば、「本を読むこと」を例にしてみよう。
月に20冊読書をする人がいる。その人は、空いた時間を見つけては数ページ読書をしている。
一方、年に1冊か2冊しか本を読まない人がいる。その人は、空き時間は、友達とメールしたり、電話をしたり、テレビを見ている。その時間は貴重だと思っている。
さて、この2人に、「2ヶ月後の締切までに、指定図書を3冊読みなさい」という課題が出された。
「えっ?それだけでいいの?」と思うか、
「えっ!そんなにも?」と思うか。
その差は、才能の違いではなく、自分の中の基準の違いです。
つまり、自分の中で、「大変かどうか」という基準を安易に下げないということが大切。
これは、「無理してでもがんばりなさい!」とスパルタ精神論を唱えているわけではないので。
「安易に基準を下げない」ということが大切だと伝えたいのです。
安易に下げる理由は、状況を客観的に整理せず、自分の主観だけで基準の高い低いを判断するから。
「これって、大変だと思っているのは何故だろう?」
「大変だと思うのは、自分だけかな?それは自分には理由はないだろうか?」
と考えることが大切。
それで、課題を平気で出してこない合格者がいると、
編集長は、悲しい気持ちになるのです。
だって、今から基準を下げていたら、大学に入ってから「大変だ」と思うことが増える。
すると、ますます言い訳を繰り返さないといけなくなる。
その悪循環を断つには、意識を変えてほしいと思うのです。
そんな自分の姿勢を傍らに追いやり、
「京都造形芸術大学に入ったら、有名企業に就職できますか?」
「この学科の先輩は、どこの企業に就職しているんですか?」
って、みんな聞くのよ。
はっきり言います!
努力を続ける人にしか、結果はついてきません。
京都造形芸術大学に入っても、無条件で就職なんかできないし、
みんなの同じ学科の先輩が、みんなの憧れの企業に就職していても、それがイコールみんなが同じ企業に就職できるわけじゃない。
その学生(そして、そういう学生は入学前も、入学してからも地道に努力を続けていた学生)だから、就職できたり、アーティストとして活躍しているわけです。
「原因」と「結果」の間には、ほとんどの場合、適切な因果関係がある。
そんな当たり前のことに、「冷静になって」気がついてほしいのです。
その目標を達成するためには、何をする必要があるのかを考えよう。
入学前学習プログラムで出している課題は、
「これをやれば必要十分」というものではなく、
「最低限のやって当たり前」のものであるということ。
みんなの掲げる、それぞれの目標。
それを叶えるために、これからの時間があるんだよ。
そして、みんなにはその可能性がある。
だから、安易に基準を下げないでほしい。
「やらされている」と思っていたら、伸びない。
「何ができるか?何をすべきか?」を考えよう。
投稿者:入学広報課 吉田